うつ病患者の私がSHINeeと向き合うブログ

※この記事ではうつ病のこと、自殺のことについて触れています。危険を感じた方はブラウザを閉じてください。

※著者本人も現在うつ病治療中の身であり、医者でもないので、「これをすれば治る」といった内容を書いたものではありません。




アクセスありがとうございます。

まず、1/14に発表されたテミンの兵役に関するお知らせから触れます。

news.yahoo.co.jp


以前からうつ病パニック障害を患っていたと知り
正直、驚きが半分、「やっぱりな…」と思う気持ちが半分でした。

日本向けのオンラインファンミーティングで、ジョンヒョンの映像を含めた過去のSHINeeのライブ映像が流れた後、テミンの様子が明らかに平常ではない状態になってしまったところをみると
「相当精神的にキテるのでは?」と心配していました。

テミンの一刻も早い回復を祈ります。





2017年12月18日、私たちの大好きなジョンヒョンが旅立ちました。

私はその年の11月からうつ病の治療を始めたばかりでした。
その日は調子が良かったため、私と両親と出掛けていました。
ふとスマホを操作したとき、ジョンヒョンが危篤状態であるという一報を知りました。
SHINeeの大ファンだった私と母は急いで家に帰り、ジョンヒョンの無事を祈っていました。
しかし、願いは届かず。
訃報のニュースを見たときは全身の力が抜け、彼が亡くなったという事実を受け入れられず、ただただスマホやTVで流れるニュースをぼーっと眺めていました。


翌日からジョンヒョンが亡くなった際の状況が克明に報道されるようになり、彼が自ら死を選んだのだと判明しました。
公式に発表されてはいないものの、ジョンヒョンはうつ病だったと憶測するネット記事が多く出回りました。
私自身、彼はうつ病で亡くなったのだと考えました。

私はジョンヒョンと自分を重ねました。
「ああ、私が何度も立った生死の淵から彼は飛び越えて向こう側に行ったんだな」と静かに思いました。
おそらくほぼ同時期にうつ病にかかり、旅立ったジョンヒョンと生き残った私。
彼がアイドルであることを忘れ自分と同一視してしまうには十分な状況でした。


当時の私は、ジョンヒョンが亡くなったことよりも、「なぜ死んだのだ」という疑問の声や事務所の責任を問う声を耳にしてしまうことに苦しめられました。
ジョンヒョンと自分を完全に同一視していたため、
「自分が死んだときも、こんな風に自分や家族含めた周りの人間が責められるのだろうか」と愕然とした記憶があります。

ジョンヒョンが自ら死を選んだのは、誰のせいでも彼自身のせいでもない。病気がそうさせたのだと思わないと自分が保てませんでした。




月日が流れ、SHINeeが4人で東京ドーム公演をすることが決定しました。
私は症状が悪化しているにも関わらず、体を無理矢理引きずりながらドームへ向かいました。
「無理して行くな!寝ろ!」と当時の私に言ってやりたいですね。
当時は、行くことが私の義務なのだ!と思ってました。

肝心の公演の内容は正直あまり覚えていません。
私は会場にいるファンが泣いて鼻をすすっている音を聞きながら、SHINeeの4人と1つのスポットライトが照らす空白のステージをただ見つめていました。

あの公演をやってよかったのか、私は公演を観に行ってよかったのか、今でもよく分かりません。

ただ、その頃ぐらいから
「ジョンヒョンと私は違う世界線にいるんだ」と悟り、彼と自分を同一視することをやめた気がします。


その後、私は幸運なことに理解のある家族の協力の下、心療内科に通院し、自宅療養をする日々を送っていました。
薬が合わなくて自室に引きこもったり、病院を変えたり、様々な発達検査したり、紆余曲折はありましたが少しずつ回復していた頃、私はふと考えてしまいました。

「私、SHINeeが存在してくれることを当たり前に思っていたな」と。
ジョンヒョンが亡くなる前のSHINeeは、日韓でアルバムを出しながら世界ツアーと日本全国ツアーを周り、各々ソロ活動も行うなど、超多忙を極めていました。
しかし、私は供給される完璧なエンタメをただ楽しく享受するばかりで、彼らの心身の心配をあまりしていませんでした。
毎年当たり前にアルバムが出て、ツアーが決まって、彼らのハイクオリティなパフォーマンスに酔いしれて、ただそれだけを考えていました。
兵役に行っても数年すれば全員でカムバしてくれるだろうと思っていました。

能天気で浅はかで身勝手なオタクでした。

アイドルをライトに楽しむことは全然悪いことではないと思います。

ただ、私の場合、SHINeeにハードなスケジュールとよりクオリティの高いパフォーマンスを当たり前のように求めていた自分は、彼らを追い詰める加害者側に無意識に加担していたのではないかと考えるようになりました。
私はかつてジョンヒョンと自分を同一視していたけど、全然立場が違っていたのではないかと。

なぜジョンヒョンが死んだのか本当のところは誰にも分かりません。


しかし、今でも、私の心の中には、加害に加担したのではという苦い思いが横たわっています。

そんなことないよ、と優しく声をかけてくれる人もいるかもしれません。

それでも、私の中で、この苦味は中々消えません。


そんな苦味を抱えながらも、私はアイドルを追うことをやめませんでした。
SHINeeのうち上のお兄さん3人が兵役に行き、末っ子のテミンが1人ソロ活動を本格化したときも活動を追ってましたし、コンサートにも行きました。

大人になり頼もしくなったテミンが、1人誰もたどり着いたことのない境地へ羽ばたく姿を目の当たりにして、テミンはきっと大丈夫と思っていました。一抹の不安を感じながらも。


時間を少し巻き戻しますが、ジョンヒョンが亡くなった直後の4人の公演で1つ引っかかったことがありました。
テミン1人だけ感情を抑えてステージに立っていたことです。
他のお兄さんたち3人は感情を表に出して、声を荒らげたり、涙目になりながらパフォーマンスをしていました。
一方で、テミンはジョンヒョンがいない穴を埋めながら
(実際ジョンヒョンのパートをテミンが歌うことが多かった)
完璧なパフォーマンスをしようとしていたように私は感じました。


プロとして、弱味はみせず、完璧なパフォーマンスをみせようという固い意志は、ソロ活動でも伝わってきました。

「テミンは1人でSHINeeを背負って偉い、凄い」と思いながら
「本当に大丈夫なのだろうか」とも思っていました。


そんなことを思いながら季節は過ぎ去り、
2022年1月14日、始めに触れたテミンの病気公表がありました。

「本当はずっと前から病気と闘っていたのではないか」
「テミンは病気のことを隠したかったのではないか」

色んなことを思いました。

しかし、何度も繰り返しているように、心の病の原因は分かりづらく、全く関係のない第三者が推し量れるものではありません。
私の場合、うつ病が自分の発達障害の二次症状だと分かったのは、発症してから数年経ってからでした。
まだテミン自身も心の病の原因がはっきりしていない可能性があります。


私とジョンヒョンは違うのと同じで、私とテミンも違います。
同じ病気とはいえ、自分の体験を彼らに重ねて憶測するしかありません。

ただ1つ言えることは、心は1度壊れると元に戻らないということです。

うつ病の症状を例えるなら、スマホのバッテリーが壊れるようなもの。
いくら充電しても満タンにならないし、自分の残りのバッテリー量がどれくらいか分かりづらくなります。何もしていないのにバッテリーばかり減っていくこともあります。
スマホなら代えのバッテリーを入れればいい話ですが、人間の体はそうはいきません。

1度壊れると代えがきかないのです。



私は、十数年間アイドルを応援しています。
能天気にアイドルを追っかけてる場合ではなかったと気づかされたときも、
自分の心が浮き沈みを繰り返し、コントロール出来ない状況になったときも、
私は、アイドルを応援することをやめませんでした。

アイドルを応援するときに味わった苦味。
あれから、私は結局変わることが出来たのか。
心の病を抱えた大好きな人を、これからどう見守っていけばいいのか。
自問自答しました。


ふと、SHINeeのライブの時の映像を思い出しました。
2022年1月7日から13日まで毎日1日限定で配信されていたライブ映像の数々。
色んな思い出が詰め込まれた映像には、SHINee5人の楽しそうな顔が映っていました。

安直な言い方にはなりますが、
幸せは確かにそこにあったし、自分もその幸せを共有していたんだと感じました。

その幸せは、いつか私の記憶から消えてしまうかもしれないけど、永遠なのだと思いました。



これからのSHINeeは正直どうなるか分かりません。
もう二度とSHINeeのパフォーマンスは観られないかもしれません。


それでも、SHINeeがくれた宝物を胸に抱きながら、彼らの健康と幸せを祈りたい。心からそう思います。

ジョンヒョンが亡くなって、SHINeeから離れた人、
4人のSHINeeが受け入れらない人、
4人になってから好きになった人、
ずっと応援し続けている人、
色んな人がいると思います。

SHINeeに触れたすべての人に、宝物があり続けますように、心から願っています。

1日で仕上げた散文をお読みいただきありがとうございました。
皆さんの健康と幸せを心からお祈りしています。