挫折を乗り越える強さとは -映画「THE FIRST SLAM DUNK」を観賞して-
はじめに
名作漫画「SLAM DUNK」を映画化した「THE FIRST SLAM DUNK」を先日観賞しました。
1回目は地元の映画館で、2回目はドルビーシネマという高画質且つ高音質で映画を楽しめるバージョンで観ました。+500円かかりますが、(画質の違いこそピンと来なかったものの)普通の映画館よりも確かに360°から立体的に音が聞こえて更に作品に没頭できたので、追加料金を払ってでも観る価値はあると思います。
このブログの題名に『感想』という文字を入れなかったのは、私が今書こうとしていることは、映画の感想というよりも、映画をきっかけにもっと個人的な事情への考察をするというものだからです。
映画「THE FIRST SLAM DUNK」についての素晴らしい感想と考察は、私が最も尊敬するイラストレーター・ブロガーであるぬまがさワタリさんのブログをご覧いただければと思います。(私が思ったことだいたい書いてある気がする)
では、今回のブログのテーマは何かと申しますと、
それはズバり『挫折』と『再生』です。
勿論、「THE FIRST SLAM DUNK」の主人公宮城リョータを語る上で最も重要なテーマであり、映画で一貫して描かれたテーマでもあるでしょう。
「SLAM DUNK」に登場するキャラクターたち程ではありませんが、私も過去10年間熱心に取り組んだスポーツがありました。
(マニアックな分野で身バレする可能性もあるため明言は避けますが、武道とだけお伝えします)
結局私はその武道を継続することを断念したのですが、それまでの経緯や断念した後のお話をしたいと思います.
※注意
以下の文章は映画のネタバレを含みます。ご了承ください。
揺らぐアイデンティティ
スポーツというものは、一体私たち人間とどんな関係のものなのでしょうか。
私たち人間の身体の機能向上や一時的な精神的リフレッシュを助けてくれるなどの他にも、試合に勝利することで自分に自信がついたり、他人から信頼と尊敬の眼差しを受けたりなどスポーツは様々な影響を私たちに与えてくれます。
もう少し詳しく説明すると、資本主義社会が発展した後のスポーツには『競争』の2文字がより付きまとうようになりました。スポーツに『競争』が掛け合わさると、試合に勝利し、己への自信と他人からの羨望を手にする者がいれば、同時に敗者となり自信と他人からの信頼を喪失する者も出てきます。
学力で社会的序列が決まってしまう、所謂「学歴社会」の中でもスポーツは特別です。
スポーツが他より並外れて得意であれば、人間として評価され、(例え学力がなくても)大学まで進学できてしまう世の中で、「スポーツが得意」ということは、それこそその人の人生設計に関わる大きな要素の一つです。
また、スポーツは『現実逃避』のための手段を私たちに与えてくれます。辛い現実から逃れてスポーツに没頭することで、少しでも現実を忘れていられる。それが自分にとって癒しの時間となったり、現実に立ち向かう契機となったりなど、人々の心の動きにも大きく影響します。
つまり、現代のスポーツは現代人にとって、自分のアイデンティティに深く関わるものとなっています。
競争が激化したスポーツにおいて、勝者は自分のアイデンティティを強固なものとし、敗者は自分のアイデンティティを喪失します。
スポーツに熱心に取り組んでいる者は、常に自身のアイデンティティを揺さぶられながら過ごしているのです。
スポーツに日々精進した若者が、何らかの理由(怪我や環境の変化など)でスポーツを続けることができなくなった結果『挫折』し、落ちぶれて違法行為に手を染めてしまう事例も多発しています。
(詳しくは下記の記事を参照してください)
スポーツをする若者によくある『挫折』を、映画の原作漫画「SLAM DUNK」では三井が体現していますね。怪我によって『挫折』を味わった三井は身を持ち崩し、分かりやすく不良になって桜木たちの前に現れます。結局彼はもう一度バスケットをすることを決意し復帰するわけですが、現実に『挫折』した若きスポーツマンが、気持ちを立て直し復帰する確率はどれくらいのものなのでしょうか。データがないので確率は分かりませんが、スポーツをすることによって得ていた栄光や充実感を失い、喪失感に打ちひしがれる若者が多くいることは確実でしょう。
もちろん、私もその中の一人でした。
私は幼い頃から競争心があまりなく、勝利への欲望に乏しい子どもだったためか、あまりスポーツにのめり込むことはありませんでした。
そんな中、中学生の頃に出会った恩師の演舞に魅せられて、私は武道を始めました。現代の武道は終戦後GHQに改革を指示されていたため、スポーツ化を推し進められ、試合による競争が激しくなったという歴史があるのですが、私の恩師はあまり勝負にこだわらない人でした。勝ち負けにこだわらずのびのび演舞に集中できる環境は私にとって楽園のような場所でした。
しかし楽園だったはずの場所で悲劇が私を襲いました。当時指導していたコーチから性被害を受けたのです。(この性被害のことは本題ではないため詳しくは書きませんが)、安心安全に武道に取り組める場所を突然奪われた私は、それでもその武道が好きだったので何年か続けましたが、結局はやめざる得ない状況に追い込まれました。
あまり試合に勝てるタイプではなかった私にとって継続していることが唯一の自慢であり心の拠り所だったため、私は大きなアイデンティティを失い、『挫折』を味わいました。
『挫折』を乗り越える強さとは
では、このブログに何度も登場した『挫折』とは一体何でしょうか。
私なりに意味を解釈すると、『挫折』とは、理想と現実がかけ離れ、自分や今の状況を受け入れられない時に感じるものだと思います。
原作「SLAM DUNK」で飄々とバスケットをするリョータは一見すると『挫折』とは縁遠い人間のように思えますが、映画「THE FIRST SLAM DUNK」では彼は何度も『挫折』を味わいます。
目標としていた兄を失い、家庭でもバスケットでも兄の穴を埋められないと感じるリョータ。その気持ちを表象するように、彼は兄と同じ背番号と、かつて兄が身につけていた赤いリストバンドを身につけ試合に出場します。兄の穴を埋められない苦しみや悔しさの中で、不良グループに殴られても、先輩に問題児扱いされても、彼はバスケットを続けます。おそらく、バスケットは彼に辛い現実を突きつけると同時に、辛い現実から逃れるための心の支えになったと思います。
そして、バスケットをする中で獲得した自信とその喪失の間で揺れながらも、リョータは正面から壁にぶつかり、もがいていきます。結果的に試合の後、リョータは『挫折』を乗り越え、兄の赤いリストバンドを母親に渡し、兄とは違う背番号で海外のバスケット界で活躍することになります。
一方私はというと、10年続けた武道を「生涯続けていく」ことが自分にとっての理想だったので、やめた後も使用する道具や胴着を中々捨てられずにいました。
「今まで費やした時間は何だったのだろうか」
「あんなにも熱中して楽しんでいたあの頃の気持ちはどこへ持っていけばいいのだろうか」
そんなことを考えながら日々を送っていました。
そして、武道をやめてから5年後、ようやく私は学生時代の恩師に「コーチに性被害を受けたことが原因で武道を続けられなくなったこと」を手紙で報告し、道具や胴着を処分することを決めました。
これが、私なりのけじめの付け方でした。
今となっては、
「例え費やした時間が無駄になっても、今の自分に不満はないから前に進もう」
と思えます。
(素晴らしい作品の人気キャラクターと自分を重ねるのはおこがましいですが)
リョータと私が各々落とし前をつけて前に進めたのは、おそらく今の自分と周りの現状を受け入れられたからだと私は思っています。
リョータは「兄の代わりにはなれない自分」のことを受け入れ、私は「もう武道を続けられない自分」のことを受け入れることで、挫折を乗り越えることができたのだと思います。
さらに一歩踏み込むと、『挫折』を乗り越えるために「自分を受け入れる」にはどうしたらいいでしょうか。
私は、現状を正しく認知し受け入れる『素直さ』、そして今の自分の気持ちを誤魔化さない『正直さ』が大事だと思います。
これこそ、私が考える「挫折を乗り越える強さ」です。
今すぐ自分を受け入れられなくても、時の流れが挫折による心の傷を癒してくれる場合もあるので、焦らずゆっくり自分の心と向き合うことが大切です。
私の言っていることは、ある意味「生存者バイアス」であるかもしれません。挫折によって打ちひしがれ、まだ立ち直ることができない方が世の中には大勢いらっしゃることも事実です。それは、その人が単に心が弱いということではなく、傷を癒す時間がまだ必要な段階なのだと思います。
「今はまだ心の傷を治療する段階なんだ」と認識することで、起き上がることができない自分を責めてしまう気持ちが少しでも減るかもしれません。
終わりに
最後に、私のお気に入りの楽曲を紹介したいと思います。
ハロー!プロジェクトのグループ、「アンジュルム」の「46億年LOVE」という楽曲があるのですが、天才作詞家児玉雨子さんが提供したこの曲にはこんなフレーズがあります。
『夢に見てた自分じゃなくても
全うに暮らしていく 今どき』
私がこのブログで約4000字を使って言いたかったことが、この短いフレーズに詰め込まれています。プロの作詞家さんの凄さに脱帽するばかりです。
(非常にファンキーで明るいリズミカルな素晴らしい楽曲なので是非聞いてみてください!)(宣伝)
スポーツに限らず、思い描いた状況や自分じゃないと戸惑う瞬間はこれからの人生において何度もあると私は思っています。その度に、私はこのブログで書いたことを思い出しなんとか乗り越えていければと思います。
きっと漫画の原作者であり、映画の監督をされた井上先生も、迷える若者へのエールとしてこの作品を制作されたと私は信じています。
ここまでブログをお読みいただきありがとうございました。また、どこかでお会いしましょう。